ばぁちゃんとじぃちゃんと。

2014.01.09(Thu)

先日は突然お騒がせしました、おっくです。
ブログのコメント、twitter、メール等で沢山の方から心配・追悼のお言葉を頂きまして、
本当にありがとうございました。

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呆気にとられる程、本当に突然の事でした。
まさか30分前まで一緒に話をしていた人が、意識がなくなり、そのまま1日後に召されるとは
思いませんでした。きっと本人も、理解できずにその辺をうろついていると思います。

でも、悲しい式ではありませんでした。寂しくない、というとそれは嘘になりますが
本当に元気で、最後まで自分らしく、これが最高の人生のエンディングだ!というのを
体をはって見せてもらいました。
姉も母も弟も顔じゅうぐちゃぐちゃにしていましたが、そういう気持ちが強かったので
私は1人、心の中で敬礼をしつつ笑顔で見送ってきました。


一緒に暮らしたばぁちゃんが「おっくのもう1人の母親」だとすると、
こっちのばぁちゃんは「おっくのオシャレで可愛い親友」でした。ちょっと失礼だけど。
そんなばぁちゃんについて、ちょっと思い出を書き残しておきたいので
ゴメンナサイ、プチアニメや初夢漫画は来週の更新まで待っていてください。



とにかく本当に若かった!
半年前くらいからは足腰が悪くなって、あまり自由がきかなかったようですが
それまでは杖も使わず、化粧をしっかりして、自分の足で出歩きました。
杖を使わないのは「使ったらばーさんみたいで恥ずかしいでしょ」
化粧をするのは「女性なんだから、身だしなみを整えないと周りの方に失礼でしょ」
・・・これが80を超える、ばぁちゃんの発言だから驚きです。

とにかく年寄り扱いをされることと病院が大嫌いで、
亡くなる2日前、入院させられた時も看護婦さんに文句ブーブー。
死ぬまでずっと、心の中は20代でした。
(実はもう1つ20代だった所があったのですが、それは後から書きます)


我が家にいた父方のばぁちゃんに比べ、ここまでの文章を見れば分かると思いますが
なかなかパワフルでガンコなばぁちゃんでした。優しかったんですけどネ。
それ故じぃちゃんとは結構若い頃からぶつかったりしていたみたいです。

でも、愛がなかった訳じゃなくて。じぃちゃんから靴をプレゼントされた事があったみたいです。
妻の靴のサイズなんて、なかなか知ってる人いないんじゃないでしょうか。
ばぁちゃんは料理が得意だったので、それに対して料理でお礼をしていたみたいです。
じぃちゃんが倒れてからも、決して自分も若くない、足も腰も痛かったのに
「散々言いたい事言って満足したらこんな(寝たきり)になって、全くしょうもないじーさんだ」
と言いながら、毎日病院に通っていました。
言葉はないけど、態度で示す。ちょっと恥ずかしがりの可愛い夫婦でした。



そんな若々しいばぁちゃんだったから、私達が生まれたときには
「私がばぁちゃんだなんて認めない、呼ばせない」なんて言っていたらしいです。
でも、いつしか自分から自分の事をばぁちゃんと言うようになっていました。
得意の料理やお菓子を作って、ばぁちゃんだよーなんて孫をあやすモンですから
周囲は思わず苦笑い。私達兄弟とおじさん夫婦の兄弟、5人の孫を可愛がってくれました。

絵を見て分かると思いますが、ばぁちゃんは私の姉にソックリです。
私が病弱に生まれ入院を繰り返した為、姉はよくばぁちゃんの家で過ごしたそうです。
見た目が似ている上にちょっとガンコでおてんばな性格もそっくり、
果ては「おっく姉はもしかすると私が生んだんじゃないか」なんて言うほどでした。
姉も愉快でオシャレなばぁちゃんが大好きで、とびきり懐いていました。
私と父方のばぁちゃんみたいな、もう1人の母親。そんな関係です。



私が大きくなってくると、そんな姉とばぁちゃんの様子を見ていて
「ばぁちゃんは姉が一番なんだなー」と思い、なんとなーく距離を感じて他人行儀に
なったりしていました。絵の好きなじぃちゃんに懐いていたから、というのもあります。

ばぁちゃんとの距離が変わり始めたのはじぃちゃんが倒れてからでした。
この年、姉が結婚し遠くへ引越しました。じぃちゃんも病院で長い入院が始まり、
ばぁちゃんはおじさんとの同居を始めます。しかしおじさんは共働き。
孫達も部活が忙しく、ばぁちゃんは長い時間1人ぼっちで過ごしていました。
そして、「孤独死だけはしなくない」と、口にするようになりました。

ばぁちゃんは体が弱く、体の水分調節が上手くいかない難病を抱えていました。
若いうちからすぐ倒れ、病院では子供が大きくなるまで生きていられないだろうと
言われたそうです。いつ自分が死ぬか不安だったんでしょう。



そんなばぁちゃんの話を聞いた時、一緒に暮らした父方のばぁちゃんを思い出しました。
あんなに可愛がってもらったのに、ばぁちゃんの事ほっといて、痴呆症になったら
近寄りもしないで、でもばぁちゃんは全てを忘れても最後まで私を可愛がってくれて。
亡くなってから後悔して、自分はバカだったと気付いた、あの時。

「また繰り返すのか」と、どこからか聞こえた気がしました。
自分の心の声ってヤツでしょうか。それとも父さんが叱ってくれたのか。
親孝行したいときに親はなし。じいちゃんばぁちゃんだってそうです。
一番にはなれない。でも、一番の代わりになるつもりもない。
私は私のやり方で、ばぁちゃんを孤独にはさせない。
最後に後悔しない、笑って別れられるようにしようと決めました。



じいちゃんが亡くなってからの4年間。積極的にばぁちゃんと喋りました。
色々な事が分かりました。オシャレなこと、じぃちゃんを羽交い絞めにしたこと(!?)
ばーさん扱いが嫌なこと、ビッグダディと韓国ドラマが好きなこと、
鳥が大好きなこと、昔飼ってたピーコちゃんがとびきり可愛かったこと、
母さんはいつもデカイ口をきいているけど私以上になまけものだったこと(!?)
おいしい料理を食べさせすぎて家族全員を丸々太らせてしまったこと、
ピカチュウが可愛くて気になること。
おしゃべりで気持ちの若々しいばぁちゃんと喋っていると、誰と喋っているのか
分からなくなってしまいます。ばぁちゃんと話している、というより、友達と話すような、
そんな軽いノリでした。

短大生活最後の夏に、職業体験として盲導犬教会のお世話になった時も
ばぁちゃんの所に泊めてもらいました。
私がお土産に犬のキーホルダーを買っていくと、ばぁちゃんはエリンギのバター焼きを
ドンブリいっぱいに作っていました。母さんに私の好物を電話で聞いて作ったのです。
ばぁちゃんは歯が弱く、キノコが食べられないのに、舐めて味見をしたんでしょうか。
あれほど美味しいエリンギをあれから食べたことがありません。

最近は、同人活動の話をよくばぁちゃんにしていました。
じいちゃん程絵に詳しい訳でも、絵が得意な訳でもないばぁちゃんですが、
母さんが同人活動をしていたので、ほんの少し知識はあったみたいです。
私のポストカードが札幌で売っていると知ると、お金を払って買ってくれました。
動物が好きな人なので、可愛い可愛いととても喜んでくれました。



最後の会話・・・になると思わなかったのですが、最後の会話は病院で
私の年賀状デザインが採用された話でした。どこで売っているの?と聞かれたので
どこかに売られちゃってどこ行ったか分からなくなっちゃった、と答えると
「あらそうかい。そりゃないわなぁ」と困ったように笑っていました。
まぁまた何かに応募して採用されたら、今度こそちゃんとどこにあるか突き止めるから!
と言うと、ニコッと笑ってうなづきました。
そして、じゃあまたね、今度会うときは家で話そう、と手を振った、それが最後でした。


私達と別れた僅か数分後に容態が急変。肺に影ができ、まもなく意識がなくなりました。
理由は分かりませんが、ガンだったのかもしれない、と聞きます。
でも、すやすやと眠る姿は痛みも苦しみも感じていないようでした。

いよいよ危ない、と言われた時、私は電車で荷物を取りに実家へ戻る途中でした。
今から急いでもきっと間に合わない。そう思い電車の中でそっと冥福を祈ったのですが
ばぁちゃんは呼吸のとまった状態で、心臓だけ動かして私を待っていました。
私が電車の中の出来事を話し終えた数分後、静かに心臓が止まりました。
もしかすると、最後まで話を聞いていたのかもしれません。ちょっとうるさい、孫の話を。




これにより、おっくのじいちゃん、ばぁちゃん、は4人全員旅立って行きました。
もう無条件に甘やかしてくれて味方になってくれる人はいないんだ、と思うとちょっと
寂しいけど、幸い沢山の楽しい親戚と友達、活動を応援してくださるネット上の方々に
恵まれました。おっくはきっと大丈夫です。

ばぁちゃんの事ばかりだとじいちゃんが可愛そうなので、残りの3人も軽くご紹介しましょう。


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父方の じいちゃん。
イケメンだったらしいです。若くして倒れましたが、ばぁちゃんの愛情たっぷりの介護で
じいちゃんになるまで生き延びました。田舎の人にしてはオシャレで、当時としては珍しい
パンが大好物だったとか。じいちゃんが死んだ5ヵ月後に生まれた私は、よく生まれ変わりだと言われ
ばぁちゃんに可愛がられました。私もパンは大好きです。
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父方の ばぁちゃん。
きっとネット上で一番の有名人になっちゃったばぁちゃん。みんなのヒーロー、あっヒロインか。
夫を介護し、畑を耕し、家畜を育て、8人の子供を育てつつも庭には雑草1つ生えていなかったという
脅威の伝説を持ちます。あまりにも偉大すぎて親戚中から神格化されています。
キャラメルが好きでした。お腹がすくとよくばぁちゃんの部屋に忍び込んで分けてもらいました。
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母方の じいちゃん。
若い頃は気難しく恐ろしい人だったと聞きますが、孫の前ではニコニコじーさんに早変わり。
脳の3分の1が死んだまま意識を保ち、指相撲を楽しんだ驚愕の生命力を持っていました。
演劇、演奏会、そういったものが大好きで、同じく大好きな・・・でも恥ずかしいから絶対に言わない
ばぁちゃんと一緒によく観にいきました。大酒のみでよく父さんと顔を真っ赤にして笑ってました。



こうして見ると、皆何かしら「スゴイモノ」を持っていて。
料理は上手だし、手芸も得意だったけど、この中ではばぁちゃんは見劣りしちゃうかな、と
思わないでもなかったんですけど・・・

ところがどっこい。

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焼けたばぁちゃんは信じられないくらいキレイに骨が残っていたのです。
薄い頭の骨も全て残り、まるくて大きな目の穴も、小さな口もそのまんま。
あまりにも骨が残りすぎていて骨壷に収まらず、仕方なく係の人が粉末にするほどでした。
火葬場の人もここまで見事なものは見たことがないと大絶賛。80代は言うまでもなく、
「今までここで焼かれた 全 て の 女 性 の中でナンバーワンの素晴らしい骨です」
と言われました。ばぁちゃんめちゃくちゃカッコイイじゃないか!

そんなばぁちゃん、好きなものは午後の紅茶でした。
亡くなる1日前にも飲んでいた午後の紅茶、味は絶対にミルクティー。
もしかするとそのミルクが骨に効いたのかもしれないです。いやはや恐れ入りました。



周りがこうも優秀な人ばかり揃うと、孫としては大変プレッシャーが大きいのですが
そんな中「ばぁちゃんらしくない」ばぁちゃんの存在はとても身近で、
最後の最後までとても楽しく過ごすことができました。
少しだけ痴呆症が出ていましたが、しっかり向き合えたおかげで後悔はありません。
本当に良い式、良い数年間を過ごさせて貰いました。

じいちゃんやばぁちゃん程スゴイ人になるのは難しいと思うけど、
でもこんな風に見送られるようなばぁちゃんになりたいです。頑張らないとな。



最後に、ばぁちゃんへ。

今年のポストカードのデザインひらめいたよ。ピーコちゃんにする。
鳥は今まで描いてなかったからね、新鮮だしネタも被らないし。
ピーコちゃんは人の真似をして床を歩く鳥だったんでしょ?可愛いの思いついたさ。
今年の夏に出すと思うから、多分また4plaだから。見にきてね。
買わなくてもいいから!ポルターガイストはやめよう!ばぁちゃんならやりそうで怖い!



ディズニー映画「眠れる森の美女」の緑色の魔女にソックリだった(マジです)
魔法使いみたいな、不思議なばぁちゃんのお話でした。



★最後にオマケのお知らせ★

ばぁちゃんの魔法がきいたのか、お通夜の夜に軽い気持ちでやってみたポケモン、
初のポケトレが大当たり。色違いのフラベベが1匹と、3V4Vのフラベベがごっそり
やって来ました。3V4Vをtwitterを使って配布するので、良かったら可愛がってあげてくださいネ。
詳しくはおっくのtwitterをご確認ください!

COMMENT

りょうすけ #p6jBG6j6

敬礼

今回の記事を見て、私からもお婆様に敬礼をしたいです。
享年は分かりませんが、80数年間、お疲れ様でした。

2014.01.09(Thu) 22:28 | URL | EDIT

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トレーナーメモ

おっく ♀ Lv.9
のんきな性格。
1989年7月12日
シンオウ地方で
Lv.2のときに
出会った。
おっちょこちょい。

いままで

さがす

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